痴呆親父を24時間介護してみた。。。覚悟が生んだもの
☆水耕と土耕の良いとこ取り栽培を行っています。
・知識と経験は一切必要ありません。
・ビギナーでも超簡単で、多収穫で立派な野菜作り
・水槽や空気供給といった装置を一切使わない。
・小さくて簡単なカゴやペットボトルに培地を作るだけ。
・液肥をトレーに補充したり、培地にかけるだけ。
痴呆老人を介護するってどういうこと?
僕は完全痴呆になった親父を1年間ずっと傍で介護したことがあるんです。
ほぼ、自分のことは何もせず、ただひたすら親父と向き合いましたよ。
何で1年かというと、1年で他界したもんやから。
介護の期間は思いもよらず、とっても幸せでした。
ニュースでよく見る、悲惨な介護生活とは全く真逆な体験で。
楽しくて面白くて、幸せ感の方がはるかに勝っていた。
もちろん、日々起きることと言ったら、
- ご飯を作ると、機嫌悪い時は、ちゃぶ台返し(せっかく作ってやったのに何すんねん!)
- 夜中に徘徊する(寝かせんかい!)
- 出ていこうとするのを制止すると、大声出して助けを呼ぶ(僕は息子やろ)
- 便秘、浣腸の繰り返し(看護師さんは大変なことしてるなぁ)
- 杖を振りかざして、殴りかかってくる(僕が何者に見えてんねん)
- 寝ている僕の顔めがけて小便をする(僕は便器か!)
- おむつの交換にテクニックがいる(何で簡単に交換させてくれへんねん)
- お風呂が一苦労(寝落ちするかぁ)
- 普通の会話はそこにない(ほぼ、ボケとツッコミ)
排泄物とどう向き合う?
例え、親の物であれど、いや、自分の物であれ、
僕が排泄物を処理するなんて、止めてくれー!
と思ってますた。絶対無理!と。何が何でも無理!と。
ところが、ところがですよ、その地獄を、地獄が救ってくれるんです。
それは、忘れもしません。
ある日、便秘の親父を便器に座らせ、浣腸をし、20分くらいしても出ないから、取り敢えず、風呂場へ連れていき、シャワーで下を洗おうとしていた時でした。
連れていく最中の廊下で、かの人は、下痢を垂れ流し始めたんですな。
出だしたら止まりませんな。。
『ウエ〜ッ!おいおい、おいおい、おいおい、何してんねんっ!もう〜っ!』
僕は、大声とともに、怒り、嘆き、親父を乱暴に風呂場に連れていこうとした瞬間、
そう、その瞬間、
お袋が、ツーッと歩行器で横を通ったんです。。。
それも、下痢をまき散らしながら。。。(@_@)(@_@)(@_@)
想定しうる最悪のその上の地獄が、リアルに目の前に、突然訪れましたよ。
お袋は呆けていなかったのですが、便器に間に合わなかったようです。はい。
廊下は糞まみれ。
で、僕はどうしたと思われます?
実際、判断を超えてますからね、、、、
大笑いしてました。(≧◇≦)
『もうどうにでもなれーっ!どうせ僕と同じもん食っとんや、僕と一緒や、全部僕のウンコ、そ、僕のウンコ』
その瞬間から、臭いも、汚いという観念も、僕から立ち去りますたよ。見事に。
僕は裸になり、せっせと掃除しましたよ。はい。
親父もお袋もまとめて、綺麗にしてあげたというより、せざるを得なかったんで、そうさせていただきました。
介護するまでは、僕は自分のことばかりを考えて生きてきたようです
本人はそんなつもりは毛頭なかったけど。
介護前に、一つの言葉に出会っちゃいました。
「あなたは、たった一人でも幸せにしたことがありますか?」
この言葉は、かなり、心の中に刺さりましたよ。
それまでを振り返ると、いつもそこに心あらずで、外に向いて自分の何かを達しようとしてました。はい。
世の多くの人の助けになれるんちゃうか?僕は。みたいな。
結局、誰一人すら幸せに出来ていない僕を初めて認識しました。
覚悟も覚悟、超覚悟
僕は、親父に寄り添ってみようと、相当な覚悟をしてみました。
親父の事以外、殆ど何もしなくしました。
親父は呆けてるから、幸せにしてもらってるとは思ってないようですが、それは呆けてなくても、思ってるかどうかなんて分かりましぇん。
幸せにするというよりも、いつも寄り添ってるという感覚。
たった一人の人に寄り添う事の意味
たった一人の人に寄り添う事で、僕を取り巻く全てが僕を幸せにしようとやって来ました。
沢山の幸せが、やってきました。
どんな幸せがやってきたかは、羅列しても意味がないかもわかりません。
たった一人を幸せにするなんて実際出来ないかもですが、常に寄り添う事は出来るもんです。
僕は親父を通して、何かを体験しました。
凄いことを体験しました。
『汝、隣人を愛せよ』ってこういう事なんか!? キリストすげー!
僕は理屈じゃなく、体験で凄いことを学びました。
僕は、声を大にして言いたい!
『たった一人でよかったんや〜』
ほな、今日は天気エエし、娘ら連れて公園行ってきますよ。